長岡花火「米百俵花火・尺玉100連発」の歴史と誰得情報
長岡花火の大型花火の最後を飾るプログラムが「米百俵花火・尺玉100連発🌾」です。
最大8か所のワイドスクリーン方式で次々と打ち上がる尺玉100発が長岡の夜空を埋め尽くします。
今では定番になっている米百俵花火ですが、その打ち上げの始まりから現在までの変遷についての情報はほとんどありません。
本記事では「米百俵花火・尺玉100連発」を独自に深掘りしてご案内します。
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尺玉 100 連発の始まり
長岡市の市政80周年記念事業として1986(昭和61)年に開催された「光と音の祭典」で10号早打80発が打ち上げられたのが始まりです。
翌年からは8月2日はネミックラムダが協賛、8月3日は長岡市民が協賛して打ち上げる市民花火として打上げられました。
毎年、1発ずつ尺玉の打ち上げ数が増えていって2006(平成18)年の市制100周年で100連発になりました。
昭和 61 年市制施行 80 周年を記念して誕生した新名物の花火です。長岡大花火の粋を結集して開発された、ワイドスクリーン方式により、約1秒間隔で10号玉花火が今年は 100 発連続して打上げられます。信濃川の川面と夜空に映える光と彩と音が織りなす、壮大な迫力と大輪の炎花 100 発連咲は、観客の皆さんを驚嘆させることでしょう。8月2日は、企業スポンサーの提供により、「ワイド尺玉 100 発」の名称で打上げます。また、8月3日は、「米百俵市民花火」の名称で、市民の皆様から広く協賛していただいた花火を打上げます。
─ 長岡まつり協議会
米百俵花火の始まり
歴史が深いように思える“米百俵花火”が花火名になったのは意外と最近で2001年が始まりです。
それまでの打ち上げプログラムではビックバン、ワイド三連尺玉、10号〇〇発(市民花火)といった花火名で打ち上げられていました。
現在では長岡花火のフィナーレを飾るプログラムとして定着していますが、当時は正三尺玉の前座的なプログラムで21:00に打ち上げられていました。
花火名が「米百俵花火」になった翌年の2002年から長岡が誇る「米百俵の精神」をテーマにした秋の収穫祭と併せて誕生した「米百俵まつり」も始まりました。
ミュージック花火の始まり
米百俵花火は 2006(平成18)年に100連発になってからも通常プログラムとして打ち上げられていました。
米百俵花火がミュージック花火になった始まりは2011(平成23)年。
当初、米百俵花火のミュージックはクラシックやポップス、映画音楽など協賛スポンサーが選曲をしていました。
その後、2016(平成28)年に長岡花火のエンディングで流れていた澤田知可子さんの「空を見上げてごらん」が未来を担う子どもたちへの応援メッセージとして「米百俵花火・尺玉100連発」とのコラボレーションが始まりました。
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米百俵花火のミュージック変遷
打ち上げ日 煙火目録🌋 🧨 花火名・🎵 ミュージック・🎵 協賛 |
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煙火目録🌋
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煙火目録🌋
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「米百俵花火・尺玉100連発」の歴史
年度 | 米百俵花火・尺玉100連発の歴史 |
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1986年 昭和61 🌋 |
市政80周年記念事業「光と音の祭典」で10号早打80発が打ち上げ |
1987年 昭和62 🌋 |
花火名「ビッグバン(10号81発)」 協賛:ネミックラムダ(2日)・市民花火(3日) |
1999年 平成11 🌋 |
花火名「ワイド3連尺玉○○発 |
2001年 平成13 🌋 |
花火名「米百俵花火」 |
2006年 平成18 🌋 |
市制100周年で尺玉100発
市制100周年・尺玉100発 轟きの太神楽 市制100周年・米百俵花火 尺玉100発 |
2008年 平成20 🌋 |
8月2日 デンセイ・ラムダ 8月3日 プログラムなし |
2009年 平成21 🌋 |
8月2日 市民協賛 8月3日 プログラムなし |
2010年 平成22 🌋 |
米百俵花火・尺玉100発 百年感謝のこころ 長岡信用金庫 |
2011年 平成23 🌋 |
米百俵花火がミュージック花火になる。 |
澤田知可子さんと長岡の絆
米百俵花火・尺玉100連発のテーマ曲「空を見上げてごらん 」を歌っている澤田知可子さんと長岡の絆は中越地震(2004年10月23日)の復興イベント「中越・夢百俵」から始まります。
澤田知可子さんは復興イベントで「会いたい」「GIFT」「幸せになろう」の3曲を披露して被災した市民は励まされました。
その後も越後長岡応援団(終了)として毎年チャリティーコンサートに参加してくれて、中越大震災3周年復興セレモニーで開催された復興支援コンサート(長岡リリックホール 2007年10月23日)では加山雄三さんらと参加して復興への歌声を響かせました。
さらに2011年7月には長岡まつり大花火大会決起大会で「空を見上げてごらん」を披露し、「米百俵花火・尺玉100連発」のBGMとなった2016年の長岡まつり大花火大会では生歌を披露してくれました。
長岡花火復活70周年記念事業(2017年)として開催されたフェニックス音楽祭 -花音- でもステージパフォーマンスで観客を魅了しました。
澤田知可子さんは中越地震の復興イベントからずっと長岡に寄り添ってくれています。
澤田知可子さんの公式SNS
公式サイト | https://chikaco.com/ |
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YouTube | ![]() |
空を見上げてごらん 〜長岡花火バージョン〜
「空を見上げてごらん」は沢田知可子さんが復興支援ソングとして披露していた楽曲。
米百俵花火・尺玉100連発のテーマ曲になるにあたっては沢田さんご本人の提案で長岡市少年少女合唱団と共演した空を見上げてごらん 〜長岡花火バージョン〜が製作されました。
このたびミュージックスターマインへの採用を依頼したところ、沢田さんご本人から、未来を担う子どもたちへの応援歌にしたいとの思いから、長岡少年少女合唱団との共演による 長岡花火バージョンの提案をいただきました。そこで、米百俵の精神を未来につなぐ応援花火 「米百俵花火・尺玉100連発」とコラボレーションさせることに決定いたしました。
引用:沢田知可子さんの歌とともに「米百俵花火」打ち上げ(PDF)
長岡花火バージョンは、長岡リリックホールで沢田知可子さんと長岡少年少女合唱団の総勢44名と共演してレコーディングされました。
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米百俵花火・尺玉100連発のまとめ
長岡市の市政80周年記念事業としてはじまった米百俵花火・尺玉100連発。
市政100周年で尺玉100連発になってから今も続いているプログラムです。
2024年現在の協賛はTDKラムダとNNCエンジニアリング。
TDKラムダはネミックラムダ→デンセイラムダと長年に渡って長岡花火を協賛してくれている企業です。
8月3日の米百俵花火は市民が協賛して打ち上げていましたが今は市民の協賛では打ち上がらなくなりました。
米百俵は小泉元総理のおかげで有名に!?
今は「米百俵」の逸話を知るひとは多いですが元々
小泉元総理が2001年4月の所信表明演説で「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要」と訴えたことから有名になりました。
「米百俵」は2001年の新語・流行語大賞の年間大賞を受賞しています。
花火名が米百俵花火になったのも2001年。
そうです、小泉元総理の演説で有名になった「米百俵」に長岡花火が乗っかったのです!
昔の世代だと、学校の授業で『米百俵の精神』はでてこなかったし、そもそも逸話を知りませんでした。
『米百俵の精神』は長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念となって今日に至る。(長岡市「米百俵の精神」)と言われても、そいがーか?しらんかったいや、の世代です。
もうひとつの米百俵
もうひとつの米百俵として「ながおか 米百俵フェス 〜花火と食と音楽と〜」があります。
長岡米百俵フェス(=米フェス)は、アーティストのライブ、長岡が誇る圧巻の「長岡花火」、海・山・川に囲まれた自然豊かな土地で育てられた美味しい食べ物・お酒をまるごと楽しめる野外イベントで2018年から開始されています。
2024 年は開催せず、次回は 2025 年 5 月 24、25 日の 5 日間、国営越後丘陵公園で開催されます。台風や長雨の影響を受けやすい 10 月の新潟から 5 月開催に変更になりました。