さようなら長岡市厚生会館、50年の歴史に幕を下ろす
街のシンボルだった長岡市厚生会館がついに50年の歴史に幕を閉じる。
アオーレ長岡の建設工事により1958(昭和33)年に竣工した長岡市厚生会館が解体されます。
長岡市厚生会館は街のまんなかにあって『コーセーカイカン』の呼び名で長岡市民の誰もが知っているシンボル的存在。
解体されて無くなる前に長岡市厚生会館の写真を撮ってきました。
大手通りから見えた解体中の長岡市厚生会館
大手通りからだと長岡市厚生会館は工事のフェンスで囲われていました。
隙間から覗くと厚生会館の正面にあった宝田(ほうでん)公園は跡形もなかった。
宝田公園の名前の由来は大正時代にあった宝田石油の跡地であることから名付けられていました。
長岡市厚生会館の裏手
外観を保っている写真を撮れてよかった。
長岡の大雪でも天井を支える柱。
内部を覗くとすでに解体されて空っぽだった。
前庭だった宝田公園
噴水のブロンズ像とか長岡城跡の碑があったけど思い出せないくらい更地になっていた。こんなに広かったっけかな。噴水のブロンズ像は、たくさんの鳩になつかれていたっけ。
ヘラクレス(!?)の壁画が見える。
長岡厚生会館はプロレスの巡業で有名でヘラクレスのような幾多のプロレスラーが戦った聖地である。
割れた窓や木々が散乱している解体中の姿が痛々しい。
大手通りを見続けてきた長岡市厚生会館のプレート
大手通を通るときにいつも時間を確認してた小さな時計はもうなかった。
今思うと、どこからみてもモダンな近代建築。
階段もボロボロ。
厚生会館に印象的な思い出や記憶はないけどいつもそこにあった建物。館内は昭和テイストのノルタルジック空間が印象的だった。
そこにあるのが当たり前だった建物が無くなるときになってもっと見ておけばよかったといつも思う。
厚生会館の解体工事の看板
長岡のランドマーク的なシンボルだった厚生会館が無くなる日も近い。
この道も5月7日以降は封鎖されて後ろ姿も見れなくなります。厚生会館の最後の姿を眺めるなら今すぐに行こう。
長岡セントラルパークの跡地
長岡グランドホテルの傍らにあった長岡セントラルパークは、もうすっかりなくなっていた。
生粋の長岡人にさえ存在感が薄くて、すっかり名前負けしている公園だったけど長岡城跡地の石垣やおしゃれな円形ステージもあったりとモダンな公園で色々と記憶に残ってる。
長岡セントラルパークの設計者は造園家・環境デザイナーの池原謙一郎氏。
大阪万博や代々木公園なども設計したスゴイ人でデザイナーズ公園だった。「日本チャ、チャ、チャ」を考案した人でもある。
長岡市厚生会館のアーカイブ
1958(昭和33) 年11月20日に竣工した長岡市厚生会館。
当時の市政だよりで紹介されていました。
市政だより
(長岡市政ライブラリーより)
厚生会館平面図
(長岡市政ライブラリーより)
在りし日の長岡市厚生会館の写真
とある冬の日の長岡市厚生会館。
解体されるとは思っていないころに長岡市厚生会館を撮影していました。
長岡市厚生会館の正面
噴水にあるブロンズ像「三つの力」は彫刻家、廣井吉之助(ひろいきちのすけ)🌾(長岡市出身)の作品。解体とともに撤去されて現在は「さいわいプラザ」前の広場に移設されています。
同じく、廣井吉之助氏の作品で長岡市厚生会館と同じ年に建立されたまいまいひめの像は今も大手通りを見守っています。
長岡城 二の丸跡
アオーレ長岡が完成しても元の場所にあるみたいで安心。
長岡セントラルパーク
長岡城の石垣をイメージした感じ。
奇しくもさいわいプラザの近くにある長岡市幸町公園は、長岡セントラルパークを設計した池原謙一郎氏の作品。
厚生会館の小さな時計
大手通りを通るときによく見ていた厚生会館の小さな時計。
さようなら長岡市厚生会館
長岡に帰ってくるたびに長岡のシンボルが消えていくのは寂しい限り。
さらば長岡市厚生会館、最後に写真に残せてよかった。
長岡市厚生会館の跡に建設されたアオーレ長岡は面影がまるでない建物になってしまいました。