長岡のトラディショナルなお姫様 まいまいひめの像の歴史
長岡市民のみんながイチ推しのトラディショナルな姫が「まいまいひめ」
今年で65歳になるキュートな姫は、かたつむりに腰かけて横笛をもっている今も変わらない可愛い少女の像。
蝸牛と少女というレアなコラボで長岡アートのひとつといっても過言でありません。
「まいまいひめの像」は観光スポットというより長岡が故郷の元長岡の民にとっての懐かしスポット。
このブログ記事では長岡市民に愛されている「まいまいひめ」を写真を交えて深掘りします。

「まいまいひめの像」の写真 2023年
建立 | 1958(昭和33)年 |
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寄贈 | 新潟相互銀行 |
住所 | まいまい広場 長岡市表町2丁目 まいまいひめの像(ながおかアート地図)📍 |
まいまい広場のまいまいひめ
まいまいひめの像がある場所は長岡駅から徒歩5分ほどの大手通りと表町通りの交差点のそばにある「まいまい広場」にあります。
もともとは大手通りの中央緑地帯にいましたが2004(平成16)年の国道351号の4車線化工事に伴って現在の場所に移動。旧道敷を利用した広場は「まいまい広場」と名付けられて遊歩道や花壇、ベンチなどがあります。
2004年6月の長岡市政だよりのトップは「まいまいひめの像」が飾りました。

引用:長岡市政だより
まいまいひめの像について
まいまい広場に設置された紹介パネルで「まいまいひめの像」の歴史や由来を知ることができます。
案内パネルには書いてありませんが「まいまいひめ」の誕生日は7月16日です。
まいまいひめの像
昭和三十三年(1958年)七月、当時の新潟相互銀行が寄贈。そのころは道路中央の緑地帯にありました。作者は彫刻家の廣井吉之助(ひろいきちのすけ)氏。名称は市内の小学校五年生・六年生から公募されました。なぜかたつむりの上少女が乗っている像なのか、由来ははっきりわかりません。マイマイはかたつむり(漢字で書くと牛)の学術上の和名です。童謡では「でんでんむしむしかたつむり」と歌われます。日本のみならず、海外でも話や絵本にたびたび登場します。
含む方にも「だいろ(昔のかたつむりの呼び名)」という、かたつむりが主人公の民話が伝わっています。その内容は老夫婦が子供として授かったかたつむりが、やがて人間の娘を娶ったあと、人間の若者に変わり四人で幸せに暮らしたというものです。もしかしたら像のモデルなのかもしれません。
まいまい広場と大手大橋通り
旧道敷を利用した広場の愛称は市民から募集されました。
決定した名前は長岡市民の誰もが納得の「まいまい広場」に決定。
通りの名前も近くにある橋の名前にちなんだ「大手大橋通り」になりました。
長岡では信濃川にかかる橋にちなんだ名前をつけるのが鉄板で「大手大橋通り」の他には「長生橋通り」「蔵王橋通り」が存在しています。

引用:長岡市政だより
メルヘンチックでミステリアスな姫
おさげ髪でワンピースのメルヘンチックな姫ですがカタツムリに腰掛けて横笛を持っているというミステリアスな一面もある謎めいた姫。
なぜ、かたつむりの上に少女が乗っているのか理由は誰にもわかりませんが、これからも「まいまいひめ」は静かに長岡の平和を見守っています。
ビルやマンションに囲まれてしまったまいまいひめを AI 生成で森の中に。姫にちょっとだけ化粧をしてあげて腕の怪我も直してあげました。
まいまいひめの像の新メンバー
今までずっとかたつむりと二人だったまいまいひめに新メンバーが加入しました。
新メンバーは、新まいまい🐌!
まいまい広場になってから、まいまいひめの像の足元に葉っぱにのった小ぶりなカタツムリの像が増えました。
まいまいひめの名前の由来
長岡市民の知名度が抜群の「まいまいひめ」ですが、姫の名前の由来はあまり知られていません。
当初は「少女の像」というドストレートな名前でしたが相応しい名前を少女と同じくらいの年ごろの市内の各小学校五、六年生を対象に懸賞募集しました。
少女の像の名前の懸賞募集は生徒たちに大人気となり1,684通の応募の中から「まいまいひめ」が選ばれました。
「まいまいひめ」と応募したなかから抽選で10名に、まいまいひめの像を寄贈した新潟相互銀行からご褒美として五百円の預金ずみ通帳が贈られました。
さらに採用されなかった小学生たちにも学校へご褒美が届けられました。

引用:長岡市政だより
まいまいひめの作者 廣井吉之助
まいまいひめの作者は長岡出身の彫刻家、廣井吉之助氏(1906-1986)
廣井吉之助氏は、東京美術学校(現 東京芸術大学美術学部)の彫塑科で学んだ後、東京を拠点に活動していた彫刻家。
いまも長岡市内には廣井吉之助氏の作品がいくつも飾られています。
ながおかアートスポットではまいまいひめの他にも平和像・3つの力・火焔土器の像を見ることができます。
平和像
長岡空襲で亡くなった児童・生徒らの慰霊と平和への願いを込めて新潟県教職員組合が資金を集めて建立。
1951(昭和26)年に長岡駅前広場に建立されたのちに悠久山公園、明治公園を経て現在は平和の森公園に飾られています。
建立 | 1951(昭和26)年 |
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寄贈 | 新潟県教職員組合 |
住所 | 平和の森公園 長岡市本町3丁目 平和像(ながおかアート地図)📍 |
三つの力
三つの力は新潟国体(昭和39年)の会場となる長岡市厚生会館の宝田公園のシンボルとして噴水が完成した翌年の6月にできた若い男女のブロンズ像。
三つの力は「若い躍進」と「人の和」を表現しています。
長岡市厚生会館の噴水池にあったときはほとばしる噴水でバッシャバシャでしたが現在は、さいわいプラザ(長岡市幸町2丁目)で水に濡れることなく飾られています。
建立 | 1965(昭和40)年 |
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寄贈 | 北越銀行・イチムラデパート共同出資 |
住所 | さいわいプラザ 長岡市幸町2丁目 三つの力(ながおかアート地図)📍 |
火焔土器の像
千手2丁目の三叉路にある火焔土器の像。
火焔土器の出土記念として、長岡信用金庫が寄贈しました。
建立 | 1958(昭和33)年 |
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寄贈 | 長岡信用金庫(公式) |
住所 | 千手緑地 長岡市千手2丁目三叉路 火焔土器の像(ながおかアート地図)📍 |
1958(昭和33)年の長岡
1958(昭和33)年の長岡は、まいまいひめの像を他にもランドマーク的な建物ができあがったビルドラッシュな年でした。
65年が経った現在は、まいまいひめの像を残してすべての建物は取り壊れてしまいました。
大和長岡店の開業
大和長岡店は 1958(昭和33)年10月18日に開業。
大和長岡店は大手通りのフラッグシップ的なデパートでした。
2009年10月に県内3店舗(長岡店・上越店・新潟店)を閉鎖して新潟県から完全撤退することか表明され、翌年の2010年4月25日に大和長岡店は閉店。
52年の歴史に幕を閉じました。
大和長岡店は、長きに渡って長岡花火の正三尺玉のスポンサーをしてくれていました。
長岡市厚生会館の竣工
長岡市厚生会館は 1958(昭和33)年11月20日に竣工。
新潟国体でバスケットボールの会場として使用されるなど各種式典や展覧会、集会、講演会、演劇、コンサートなどに利用されていた。特にプロレスの興業で人気のあった施設。
長岡市厚生会館は老朽化などに2009(平成21)年の1月末に閉鎖されました。
その後、前庭の宝田公園・セントラルパークも含めて解体・撤去。宝田公園のシンボルとして噴水を浴びていた三つの力はさいわいプラザに引っ越しています。
取説
さよなら長岡市厚生会館、解体中を撮影
現在は複合交流施設「アオーレ長岡」(公式)になっています。
フレンドの創業
新潟名物「イタリアン」のフレンド(公式)が創業した年も1958(昭和33)年!
65年もの間、長岡市民に親しまれているファストフードで懐かしの味といったらフレンドのイタリアンです。
長岡に行ったときには必ずいただくご当地グルメです。