長岡花火のプログラムを大募集!歴代の煙火目録をデジタルアーカイブ

長岡花火のプログラムを大募集!歴代の煙火目録をデジタルアーカイブ

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長岡花火のプログラムを大募集!歴代の煙火目録をデジタルアーカイブ

長岡花火ドットコムは長岡花火大会の煙火目録(花火プログラム)を探しています。

花火の街・長岡の誇りである、長岡大花火大会は多くの人々に愛され続けています。

その歴史は深く、これまでに数多くの感動的な瞬間を生み出してきました。

しかし、明治から始まっている長岡花火の歴史を振り返る貴重な煙火目録(プログラム)や資料が散逸しており、完全なアーカイブがどこにもありません。

そこで!

長岡花火ドットコムが
煙火目録をデジタルアーカイブ

もし、あなたが歴代の長岡花火プログラムを所蔵していましたら情報を教えてください。

探しているのは、以下の煙火目録(プログラム)です。

WANTED!〈明治時代〉の煙火目録

探しているのは、明治16年、明治27年、明治39年、明治40年、明治44年

以外の煙火目録

を探しています。

100年以上も前の時代なので諦め気味ですが、もしどこかにあったら教えてくださいッ🙏

年代 不明な煙火目録
明治10年代 11年、12年、13年、14年、15年、17年、18年、19年
明治20年代 20年、21年、22年、23年、24年、25年、26年、28年、29年
明治30年代 30年、31年、32年、33年、34年、35年、36年、37年、38年
明治40年代 40年、41年、42年、43年

WANTED!〈大正時代〉の煙火目録

大正時代の煙火目録は…..。ひとつもありません!

全部探しています!

年代 不明な煙火目録
大正時代 元年、2年、3年、4年、5年、6年、7年、8年、9年
大正10年代 10年、11年、12年、13年、14年、15年

WANTED!〈昭和時代〉の煙火目録

昭和時代は歴史が長く、長岡空襲もあっても不明な煙火目録が数多くあります。

特に昭和30年代以前の煙火目録が不足しています。

年代 不明な煙火目録
昭和元年代 元年、2年、3年、4年、5年、6年、7年
昭和10年代 10年、11年
昭和20年代 22年、23年、24年、25年、26年、27年、28年、29年
昭和30年代 30年、32年、33年、34年、35年、36年、37年、38年、39年
昭和40年代 40年、42年、47年
昭和50年代 57年
昭和60年代 花火プログラム全収集

 

WANTED!〈平成時代〉の煙火目録

デジタルが普及した平成時代のプログラムはインターネットでほとんど見つかりました。

どうしても見つからないプログラムを提供いただいて花火プログラムを全収集できました。

WANTED!〈令和時代〉の煙火目録

インターネットで花火プログラムを全収集できました。

 

過去の長岡花火情報をお持ちではありませんか?

昔の長岡花火情報を募集!

もしあなたが昔の長岡花火大会の情報をお持ちでしたらコピー or 写真撮影させていただけませんか?

長岡花火に関する古い煙火目録、絵写真、昔のポスターやパンフレットなどの資料は長岡花火の歴史と財産です。

長岡花火の歴史を後世に伝えるデジタルアーカイブとして情報提供をお待ちしています🙏

情報提供の方法

長岡花火の資料をご提供してしただける場合は、スキャンまたは写真撮影していただいたデータの送付をお願いします。

「煙火目録がココにあるぞ!」といったタレコミ情報の提供も大歓迎です。

情報提供は SNS の DM またはGoogleフォームからお願いします。

Xツイッター:@hanabi0258
Googlegフォーム:情報提供フォーム

謝礼がなくてごめんなさい。

提供して頂いた情報の使い方

皆さまから寄せられた情報や資料は、長岡花火の魅力をより多くの人に伝え、未来へと受け継ぐための大切なデジタルアーカイブとして利用します。

長岡花火の歴史として長岡花火ドットコムに掲載してきます。

お手元にある情報は長岡花火の歴史を彩る貴重な情報です。ご協力をお願いします🙏

ご案内
掲載時は提供元を明記させていただきます。ご希望により非掲載もいたします。

頂いた情報は掲載をお約束するものではありません。

 

長岡大煙火の煙火目録コレクション

長岡花火ドットコムがコレクションしている明治から令和長岡花火の煙火目録のデジタルアーカイブの一覧をご案内。

長岡花火の歴史年表と併せて見ると変遷していく長岡花火をご覧いただけます。

昭和時代の煙火目録

規模を拡大した長岡花火は全国的にも注目される花火大会へと成長していきました。

打ち上げ日は、雨の多い9月から晴天が多い8月5日・6日へと変更されました。

戦時下の非常態勢によって昭和13年から20年まで花火大会の中断を挟み、終戦後の昭和22年から「長岡復興祭」として再び開催され、多くの市民に希望をもたらしました。

長岡まつりの始まりは1951(昭和26)年で、その年に戦後初の正三尺玉が嘉瀬花火師親子の手によって打ち上げられ長岡花火が長岡市民の「慰霊・復興・平和への祈り」の原点となりました。

 

平成時代の煙火目録

平成時代の長岡花火は革命的にアップデートしました。

長岡花火の代名詞である「ベスビアス花火」が多様化されたことでエンターテイメント性が高い花火大会になっていきました。

長岡花火を代表する花火となっている「復興祈願花火フェニックス」は2004(平成4)年に発生した新潟県中越地震の翌年から復興祈願として打ち上げが開始されました。

さらにミュージック花火(天地人花火・この空の花・故郷はひとつ・米百俵花火)、正三尺玉3連発など花火が大型化しました。

 

令和時代の煙火目録

規模が大きくなり令和6年度は約16億円もの予算がかかっている長岡花火。

観覧席は観覧席の全席有料化されてチケット価格も大幅に値上げされました。

運営する長岡花火財団、長岡市もチケットの高額転売に対応はなく金儲け主義と揶揄され、長岡花火財団の独占的で商業的な花火大会になってきたと長岡市民は感じています。

長岡まつりの原点「慰霊・復興・平和への祈り」は令和の長岡花火でどうなっていくのかの今後を見守りたいと思います。

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長岡まつり大花火大会を中心に「花火の街 長岡」の観光情報を全方位でご案内している\⋱長岡花火の取説⋰/

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